ハルビン地下鉄1号線信号システムプロジェクト

中国の最北端である黒竜江省に位置し、省都として政治や経済の中心を担うハルビン市。2013年に地下鉄が開通し、交通利便性が大きく高まった。その地下鉄の信号システムを手掛けたのが、京三製作所である。これまで培ってきた技術力を活かし、チームが一丸となって進められた大規模プロジェクト。大きな成功を納め、さらなる海外展開への力強い一歩となった。

PROJECT MEMBER

PROJECT MEMBER
M.T
信号事業部
技術部門

プロジェクトリーダー。「今後の海外展開の足がかりとなる大規模プロジェクトに、大きな期待感と責任感を持って臨みました」

PROJECT MEMBER
H.N
信号事業部
技術部門

車上装置の設計を担当。「これまでやってきたことの集大成と言えるプロジェクトでしたので、やり切りたいという想いがありました」

PROJECT MEMBER
I.K
信号事業部
品質管理部門

製品の検査を担当。「無事開業を迎えられるように、現地スタッフとのコミュニケーションを大切にしながら仕事に臨みました」

PROJECT MEMBER
H.K
信号事業部
技術部門

地上装置の設計を担当。「当時は入社2年目でした。若くして大きなプロジェクトに関われることに、喜びとやりがいを感じました」

PROJECT MEMBER
T.J
信号事業部
営業部門

営業として予算管理や顧客折衝を担当。「プロジェクトを成功させてお客様に信頼いただき、今後の海外展開に繋げたいと強く思いました」

今後の海外進出を左右する、

ビッグプロジェクト。

海外への納入は、これまでも数多く手掛けている京三製作所。しかしハルビン地下鉄は、これまで以上に大きな意味があるプロジェクトであった。
「このプロジェクトは、日本の商社を介さずに現地企業と直接契約するという、京三製作所として初めての試みでした。今後のさらなる海外進出への足がかりとなるため、必ず成功させたいと考えていました」
リーダーとしてプロジェクトを牽引したM.Tの言葉からも、思い入れの強さを感じられる。手掛けた製品は、中国ハルビン市に新設される地下鉄の信号システム一式。多くの人が利用する地下鉄の安全を担う役割であり、お客様からの期待も大きかった。
「お客様である現地のメーカーと協力しながらの仕事でしたが、京三製作所が主導してプロジェクトを進めていきました」
まずは競合入札で指名を勝ち取るための仕様書づくりから開始。チームメンバーは何度も現地へ足を運び、打ち合せや資料作成が重ねられた。車上装置を担当したH.Nは、当時を振り返る。
「現地のスタッフとは通訳を介して会話をしていたのですが、回路など細かい技術の話になると、通訳の方も理解できないことが出てきます。図を描くなど工夫をしながら、何とかコミュニケーションをとっていました」

同じ信号設備でも、

国によって造り方が違う。

およそ2年間におよぶ仕様検討が実を結び、受注が決定。いよいよプロジェクトが動き始めた。「本格的に設計が始まると、設計の検討会議が重なってホテルに缶詰になることも多くなってきました。会議用の部屋を一室用意して、打ち合せと資料作成を繰り返す毎日です。日本にいつ帰れるのかなと思ったこともありました(笑)」とH.N。言葉の違いだけでなく、製造方法や技術に対する考え方の違いも実感したという。
「私は電車に設置する車上装置を手掛けていたので、車両の仕様も製品づくりに関わってきます。ハルビン地下鉄の車両はヨーロッパの技術で造られていて、配線の繋ぎ方や、システムの作り方が日本とは違います。それを理解するところからのスタートなので大変ではありましたが、その分“こんな風に造っているんだ”という発見があり、学べることも多くありました」

ゼロから環境を整え、

高品質の現地生産を実現。

設計と並行して、製造も進められた。試作品は京三製作所の工場で造られるが、実際に使用する製品の6割以上は中国で生産を行う。そのための環境づくりや、スタッフへの指導も任されていた。当然ながら、京三製作所の工場で造られるものと同じ品質を保つ必要がある。製品検査を担当したI.Kは言う。
「現地で生産すると言っても、最初は設備も整っていませんでした。そのため、まずは機器を設置するなど、環境づくりから始めました。また、製作スタッフの9割は現地の方なので、京三の製品は造ったことも、触れたこともありません。一から指導をしながら、製作体制を整えていきました」
部品など材料の手配においても、苦労があったと営業のT.Jは振り返る。
「精密機器なので、輸送をする際も丁寧に扱わなければなりません。日本ではスプリングの効いたトラックでの輸送が普通ですが、中国では別料金になったりします。日本とは異なる常識の中で、細かな対応に気を配る必要がありました」

マイナス40度で、

製品試験を繰り返す。

設備の完成までには、試験と改良が繰り返される。
「試運転をして問題があれば原因を追求し、改良して、また試験をして…。この期間がいちばん忙しくなりますね」とH.N。ハルビン市の冬は非常に厳しく、マイナス40度になることも。その環境を再現した環境での試験も行われた。地上装置を担当したH.Kは言う。
「試験のために低温の環境をつくる設備があるのですが、日本では寒くてもマイナス20度くらい。ハルビンの冬に相当するマイナス40度を再現できる設備がなく、このプロジェクトのために新設しました。冷凍庫用の作業着が欠かせなかったですね。マイナス40度でも耐えうる製品にするために、低温に強い部品を使用したり、機器の中にヒーターを設置するなど、様々な工夫を施しています」
寒さにまつわるエピソードとしてM.Tが印象に残っている出来事があると言う。
「試験をするために線路に向かうと、足下にレールがなかったんです。どうしたんだろう?と思ってよく見てみると、線路が氷の中に埋まっていました。トンネル内に水が漏れて、凍ってしまったのです。予想外の出来事で驚きました」

寒さの厳しいハルビン市に、

地下鉄の利便性を届けられた。

およそ4年の時をかけて信号設備が完成し、地下鉄の開業を迎えた。「開業日は割と落ち着いていましたね。一番達成感があったのは、試験で問題なく電車が走ったときです」とI.K。「確かに、安全面は徹底的に検証しているので不安もありません。開業のときは、もう別の仕事に追われていたかな(笑)」とH.Nも振り返る。一方、現地で開業を迎えたというM.Tは「テレビでも放送していましたし、盛り上がっていたのは嬉しかったです」と感慨深げに話す。また、営業のT.Jは、お客様からの声を直接聞いた。
「開業後、トラブルなしの稼働率が中国全土で一番よかったと喜んでいただきました。乗降率が最も上がったのは初めて雪が降った日だったのですが、寒さが厳しいハルビン市では、これまで雪が降ると車しか移動手段がなかったので、地下鉄の利便性を街に届けられたことが嬉しいです」
最後に、プロジェクトを全員に振り返ってもらった。
「私は当時入社2年目でしたが、大きなプロジェクトを最初から最後まで経験することができ、自分自身の成長にもつながりました (H.K)」
「部署を越えて多くの人と苦楽を共にできて、人のつながりができたことがよかったです。(I.K)」
「みんなの頑張りを見てきたので、お客様に喜んでいただけて本当によかったです。この実積は次の仕事にもつながっています (T.J)」
「技術やモノづくりに対する国際的な考え方を学べたので、技術者として知見を広げることができました (H.N)」
「中国のスタッフは若手が多かったですが、意欲があって、吸収が早い方ばかりでした。苦労しながらも協力できて、チームとして取り組めたのがよかったです。本当に大変な時期もありましたが、みんなよくやり遂げたと思います (M.T)」